AUSTRALIND

第2の故郷

這い上がる力

※家族の介護のお話で、過激な表現も含まれています。

【私は、何とか前を向きたい…という思いから、私と同じ立場境遇の方を探した時がありました。
試行錯誤の中で、ただ、素直な気持ちを、吐き出してしまいたい…という思いもありました。

辛い経験をしている方は、いっぱいいるでしょう。
ただ、大小どんなことにも限らず、抱いた気持ちは、本人のものであり、比べられるものではないと思うのです…。】










“この人、誰…??”

枕より大きな頭。
いつまでも、真っ白な体。

お医者様は「助かっても、意志疎通が出来ない植物状態。足は切断。」と話す。

輸血を続ける。

声をかけると、目を開く。
お医者様は、ただの反射神経と言う。
それでも、信じる気持ちに迷いはなく、ただ嬉しい。

目覚めて、はじめての食事。
お腹が空いていたのだろう…
手掴みで貪り、ふりかけをお味噌汁に入れる。

排泄物で、土いじりの様に遊ぶ。
まだ、声を発せず、表情がない。

これは、誰なのだろう…

ウルトラマンの人形で遊んでいた頃。
「赤ちゃんからのスタートです」との説明有。
何度も命の宣告を受け、危険な手術を繰り返す。

救急車が病院へ入ってきた時。
「ピーポーピーポー、救急車が入ります。」と、初喋り。
思わず笑うと、ニコッと笑い返す。

オムツを交換して欲しいと頼まれ、一瞬戸惑うと…
「出来ないの?」と、不安そう。

一緒に、お絵かきをして遊ぶ。
その時のメモ紙は捨てられない。

漫画、釣りバカ日誌が愛読書。
1巻ずつ差し入れていると、嬉しそう。
すると、お医者様は言う。
「文字、読んでる気配あります?」

「頭を洗いたい…」と臭いを気にする。
これが、意識を自分のものとして取り戻すきっかけ。

命を喜び、涙が溢れる。
その命を守る為、再度、足の切断が提案される。

酷くショックを受ける。
はじめて、「しっかりしなさい!」と大声で諭す。
力強く抱き合い、全力で寄り添おうと覚悟する。

私が、代わってあげたい…!
私なら、絶対耐えてみせるから…!!

父が、本人の意思と性格を踏まえ、足は残す決断をする。
病院側は、それを尊重し、新たな治療チームを編成。

心臓の鼓動が、ドキンドキンと激しくなるが、なぜなのか…
お医者様の、強くはっきりと示される努力の姿が有り難い。

少しずつ壊死していく足を、毎日、全身麻酔で切除。
本人の胃には、無数の潰瘍ができ、激ヤセ。

何気無いことで、空気が重くなり、病室を出て休憩中。
「いっしょに、あ・す・し食べませんか?」とメールが来る。
ハッとして、急いで戻る。

自宅療養開始。
暫くして、足の激痛が残る中で、“わかるのに出来ない感覚”に脳が支配され、自分が自分でなくなる恐怖で、苦しむ。

日に何度も暴れ、それが1日に1回、1日おき、数日おきになり…
また日に何度も暴れる。

足を引きずりながら、包丁を探し求める。
2階のベランダから、飛び降りようとする。
何度も、力づくで止める。

母が「あなたがいなければ、2人で死のうと思った。」と、私に話したことがある。

母を守りたい。
母の大事な子ども、私の弟を、これ以上傷つけてはならない。

不安や怒りの矛先は、ローテーション。
母になり、父になり、私になる。

自分が何をしているのか、弟はわかっている。
ごめんなさいと泣き叫び…
殺してくれと懇願し…
ありがとうと感謝する…

玄関を開けたら…

誰か怪我をしてはないか、死んでしまっていないか…
いつか、新聞に載ってしまうのだろうか…

母が、病気になり、はじめての手術入院をする。
私は、殴られる覚悟で、はじめて弟を責めまくる。

父が、弟と掴み合いになり、血だらけになりながら、私を呼ぶ。
私は、父から弟を引き離し、項垂れる弟に、怒鳴りながら諭す。
翌日、父の新しいパジャマを買いに行きながら、冷静な自分と、興奮する自分がいる。

徹夜明けで仕事へ向かう日々…
車中泊をする日々…
家出した母や弟を探す日々…

家にいない時は、家が気になる。
家が見える時は、体がガクガク震える。
家にいる時は、息を静めて、耳を澄ます。
これが、私の、家を守る前の一連の儀式。

両親が出かけていると、私がどこで何をしていようが、弟の様子を伺うメールがある。
「ご飯食べた形跡ある?」「出かけた形跡ある?」「何か言ってた?」…何でも聞かれる。
強制されていた訳ではなかったけれど、私は、なるべくすぐ確認して、返信。
両親の気持ちが落ち着くのなら…
それが、私が出来ることの数少ない内の1つだから。

母は、お友だちや自分の姉に相談したり、していたみたい。
それを、羨ましく思うことも…。
私は、母の様にはいかず、溜め込む派。
話したこともあったけれど、嫌がられたり、上手に言いたいことが伝わらず、また、なかなか変われない焦りとの中で、自分で、心細さに追い討ちをかけていたのかも知れない。

いつまで、こんな生活が続くのか。
思わず悲観的になってしまう時、何気無い事で救われる。
私たち家族は、散々傷つけ合いながらも、信じている。

無事を信じることは、猛烈に労力がいるけれど。

弟は、釣りとお料理が得意。
部屋に閉じ籠っていた当初、私たちの心配をよそに、ニュースやラジオに没頭し、本を読みあさっていたとの事。
今では、家族の中で1番の知識人となり、足の調子が良い時は、とにかく、外に出かけることが好き。

無事を信じることは、その人の力になる。

私たち家族から、距離をとる親戚。
自閉症になったの?」
「寝たきりになったの?」
笑う様な噂話が、ひとり歩き。

世の中、怒りっぽい、神経質、物静か、漢字が苦手…様々で、それが「普通」なのに、弟を物珍しそうに見る。
必死に前を向こうとする人に、興味本位な言葉が飛び交う。
心配しているというのなら…

嫌悪感を抱いてしまったのは、事実。
そのお陰で、乗り越えられることがあったのかも知れない。
自然と、恨みや嫌う気持ちは、なくなるものなのか…。

弟の名前を呼び、「ありがとう、ありがとう…」とだけ繰り返し、涙を流す従姉妹。
この人は、本物。

お医者様の言葉。
「弟さんは若い。後天的な障がいは、必ず治る。」
実際に、後の脳の検査でも正常値を示し、御墨付をもらう。
あとは…いっぱい言葉を喋らせること。



今、現在。

足は、未だ、不安定な状態。
常に感染症の不安と、激痛と、装具のメンテナンスに、非常に神経を使う。
数ヶ所のお医者様方が、治療方針について話し合う。
意見がぶつかり、先が真っ暗になることも…。
今後、QOLの向上の為に、大きな手術をすることになるかも知れない。

これまで、私たち家族は、弟にやれることを、手当り次第やってきた。

食べられるものがなくて、唯一、食べられるファミマのポテトを、何度も差し入れ。
飲めるものがなくて、OS1に辿り着く。
弟が、喜ぶものを一緒に喜び、嫌がることを一緒に嫌がり…
孤独にしない。
弟の話すペース、動くペース、全てに合わせる。
わがままな面と、そうでない面を見極め、何でも手助けをするのではなく、相談しながら、または、相談して来るのを、待つ。
マンネリ化した家族に、新しい風を…と、1人鹿児島へ。
父は、惜しまれつつ、会社をたたむ。

そんな風に…。



私は、自分の将来なんて、考えられなかった。
自分の中の、“大切枠”は、既に、今の家族で埋まっているのに、新しい家族なんて…
みんなが、どう考えているのか、そのメカニズムの様なものが、私には、全くわからなかった。

「ご縁活動をしてみない?」と、誘われて…
全く忘れていたことなのに、素直に、嬉しかった。
だけど、弟1人幸せに出来ないのに…自信がなかった。

私は、自分は結婚しないものと思っていたけれど、一般的な理想の様なものはあって、お友だちとお喋りをしていた。

でも、それと同時に、弟のことを考えていた。

お友だちと、お喋りする余裕が出てきた頃。
「兄弟いるの?」「何しているの?」等と、家族の話題になることを避けていって…そんな自分が、嫌だった。
弟のことを、恥ずかしいと思っている訳ではなく、親戚から受けた様な偏見から、守りたかった。
弟を、傷つけられたくなかった…その一心だった。
まるで、小さな子どもを持つ親の気分で、過保護だと思う。

でも、よく、思い出してみると…

自暴自棄になりはしないかと、心配していた時の弟は、淡々とお勉強に励んでいた。
そして、時々、一緒に釣りへ出かけると、知らないおじさんと喋っていたり、一緒に食事へお出かけすると、自分が座れる席を、店員さんに相談している。
調子が良い時の話で、いつもそうとは限らないけれど、心配は、ある意味、可能性を潰してしまうことに気が付いた。

母から、「私たちのことは心配しないで、大丈夫。自分の人生を歩いて欲しい。幸せな姿を見せて、私たちを幸せにして欲しい。」と言われた。

時には、般若の様な形相で、狂ってしまったのではないか…と、心配した母から、そんなことを言われた時。
私は、どのくらい振りかの、大きな深呼吸をした気がする。

それから、「大丈夫」という言葉が大好きになった。

私は、結婚しても、弟のことを面倒見て欲しい…と思っていることは、全くない。それは、弟が、1番嫌がることだから。
弟は、学校にも会社にも行っていないけれど、毎日、自分の体調と向き合い、出来ることに一生懸命取り組んでいる。
基本的には、1人でどこでも行けるし、家にいることはあまりないくらいに、元気。長時間、歩くことが出来ないだけ。

障がい者年金を頂いているし、弟自身が、これから抱く将来の夢を、潰さない様に、見守りたい。

結婚したら、お互いの家族を、大切に想えたら素敵だな…。
何か辛そうなことがあったら、「大丈夫かな?」
何か嬉しいことがあったら、「良かったね~!」
それだけで、十分。大切なのは、自分たち。

…本当は。
新しいお母さんが出来ることも、待ち遠しい。
お母さんが出来たら、今度は、いっぱい幸せにしたい。
私は、母に、辛い思いをさせてきたから、その分を取り返したい。なぜか、こう思う。

私は、母と、もっと自然に、お出かけをしたり、お料理をしたり、お喋りをしたり…したかった。
でも、私が、母といると、弟の様子がおかしくなる。

最近は、落ち着いているけれど、弟が暴れる時は、昔の話をすることも、あったそう…。
“姉の方が愛されていた…”、“自分は我慢していた…”と。
「何言ってるんだ??」という思いは、これも、弟が1番ある様だけれど、弟の残存意識の中に、ずーっとあったことが、そうさせたのかも知れない。

実は、今年に入ってから、同じ家にいながら、父と弟は、会っていない。
理由は様々あるけれど、一時的にでも、平常心を保てているのなら、今は、それもありだと…前向きに捉えている。

私は、どちらも信じているから、大丈夫。

そんな中で、いつも状況を見ながら、コソコソと、出来る限りの気分転換を心がける。

きっと、大変なことはいっぱいある。

繰り返しになるけれど…

結婚したら、出来なくなることは、本当はないのだろう。
結婚すれば、出来ることも、特にはないのだろう。

ただ、真剣に人を愛することが出来れば、1人では立ち向かえなかったことにも、勇気が湧く気がする。
別に、何かをしてもらうのではなく、愛する人からのヒントや安らぎを受けながら、自分の視野を広げて、今より、成長させることが出来るのだろう。

自分以外の価値観を受け入れられた時、今まで、知り得なかった喜びや楽しみ、困難に打ち勝つ方法にも、きっと、出合えるのだと思う。

様々な生き方がある中で、私は、これを選びたい。

この10年…以上。
ずっと、全てが、怖かった。

私から、離れずにいてくれたあなたへ…
心から、感謝しています。

それから、弟へ…
生きていてくれて、本当に良かったよ。

これから、気持ち新たに、頑張ります‼️